安楽寺 令和7年2月の言葉
- 清浄山 安楽寺(大阪府茨木市)
- 2月12日
- 読了時間: 3分
「2月の言葉」が遅れまして申し訳ございません。実は2月の中頃をめどとして、「三島ウド」をわが太田の百姓家の方々が、昔に出荷しておられたことを私が覚えていましたので、「ウド」のことを書こうと思い、それを作っておられた百姓家の長老の方々数人に取材しておりましたので、「言葉」が遅れました。申し訳けございません。
私が幼稚園児のころ、ここ太田ではウド農家は15軒ほどあったそうです。太田以外は「三島ウド」を作っている集落は無かったらしいです。その理由として、太田以外はウドを作らせないという暗黙のルールがあったらしいです。長老の話しでは、新聞社、NHK、観光バスで「三島ウド」を見に来たと、鼻を高くして言っていました。
あまり皆様方に直接関係ない話しですので、斜め読みして下さい。それでは「三島ウド」の作りかたを書きたく思います。
まず、ウド小屋を建てる田んぼ全体を耕運機ですいていきます。秋に収穫したコメの切り株も関係無くすいていきます。
12月になったらさっそくウド小屋を作ります。だいたい底辺が30〜50坪ぐらいで、高さ6メートルぐらいになるように竹や間伐材で縄を用いて3角形の骨組みを作ります。そして下からコメ藁を雨漏りしないように丁寧に屋根を作っていきます。てっぺんにはトタンをかぶせます。ウド小屋の形は三角柱を横に倒した形になります。入口も木と藁で1箇所作ります。
そして別の田んぼで寝かせておいたウドを、土より2〜3センチの所を切り、その切り株をウド小屋に、15センチ間隔に植えていきます。なお、前述で、別の田んぼ云々と書きましたが、寝かせるウドは毎年同じ場所は使いません。1年1年他の田んぼを順繰り使います。
またウド小屋にウドの切り株を植えるときは、肥料も何も使いません。すいたままを平らにしておくだけです。ウド小屋にたくさんの切り株を植えた後、次に夏に収穫したあぜ道の乾燥させた雑草を切り株の上にまんべんに置いてやります。そして上の雑草と同じように、10センチぐらいに切った藁をまんべんなく置いてやります。
次に長いままの藁をまた、その上にまんべんなく置いてやります。つまり乾燥した雑草、10センチぐらいの藁、長いままの藁と、三重層になるように置いてやります。そしてここから大事なことで、水を三重層になったところに、まんべんなくかけてやります。以上でウド小屋での仕事を終えることができました。
1週間ほど経ってウドの状態を見に行きます。少しウドが成長しているのがわかります。人の手を少し成長したウドのそばの土に入れると、温かくなっているのを確認します。この確認は1週間に1度の仕事として、決して忘れることなく続きます。
そして2月の中頃に80センチぐらいに成長したウドを見に行くと、頭に三重に置いたそれぞれのものが、ウドの上に布団を被せた状態になっているのが分かります。
いよいよ「三島ウド」の出荷になります。「三島ウド」は、生でも食べられます。しかし茨木北部の「山ウド」「赤ウド」と言われ、あくが多くて生では食べられません。昔は、もっとたくさんのウド小屋が建てられていましたが、私が幼いころは重労働のため、15軒ぐらいになっていたようです。「三島ウド」で財を成した百姓家もたくさんおられたと聞きました。私の父の兄弟は父を入れて10人兄弟です。父が頭であとの者は養子や嫁いでいった人達です。
毎年、父が亡くなるまで「三島ウド」をそれぞれに送ったことを覚えています。現在では「三島ウド」を作っている百姓家は全て無くなりました。それぞれ借家やモータープールで生計を立てておられる方が多くなりました。
以上で「三島ウド」の状況を終わらせていただきます。
合掌

Comments