私の今は亡き父の言葉を、毎年4月になると思い出します。留年を繰りかえす私に向かって、「お前もそろそろ良い論文を書いて、龍大を卒業しなさい。仏教や真宗の専門書は、発行部数が少ないので、値段が高いのは当然だ。論文を書くのに必要な本は、お金にいとめをつけずに買いなさい。費用の事は心配するな。」...。
お寺の住職は、仏教の教えを死ぬまで勉強しなければなりません。拙寺では、代々の住職が買い揃えていた仏教や真宗の専門書は、寺の書庫に数え切れないほど残っています。孫子のことを考えると、まだまだ少ないかもしれません。お寺の住職を継ぐということは、上の本を代々大事に継いでいくということも、ひとつではないでしょうか。そのことを、父は分かっていたのでしょう。
ある意味、一般の大学教授になることは、それなりに専門書を揃えていなければなりませんが、その教授の子供が違う道に行くならば、親の揃えていた本は、無用のものになってしまいます。
私の息子は、住職を継ぐと言ってくれています。果たしてどのような本を揃えていくのでしょうか。
少し自慢たらしいですが、私は首席論文で卒業しました。
合掌
阿弥陀様の恩徳で不治の病の手術が無事、終わり退院いたしました。まだまだこれからが死との闘いです。この1か月は劇的に増悪することがあり、その生存率は概ね半分です。生死を彷徨い苦しみながらも阿弥陀様に極楽往生させて頂きます。それがわたしにとって一番の喜びです。また、六字名号を唱えます。南無阿弥陀仏 合掌
一度の生を得て一度の死に至る道を人は歩みます。その中で多くの知識や協調性を得て、佛様に歩み寄るのです。佛に仕える者の役割は多くの先達の学びし事を礎にして範を示していかなければなりません。僧職にある者も他の職にある者も毎日の勉学は欠かしてはいけないものですね。後、1週間もすれば入院・手術です。また、南無阿弥陀仏と六字名号を唯々、念ずるものです。合掌