今年の大河ドラマは「麒麟が来る」と題して、明智光秀が取り上げられるそうですね。拙寺の創建は室町時代末期、戦国時代の頃と伝わっており、ちょうど明智光秀が織田信長と共に活動していた時代です。
そんなこともあって、あるキッカケで「戦国摂津の下剋上(高山右近と中川清秀)」という本を読んでおりましたら、全部は読んでいないのですが、偶然に目に止まったところに戦国時代の太田氏について書いてありました。
永正8年(1528)に和泉国で戦いがあり、細川高国(管領:室町将軍の執政)の軍勢の中に、太田氏の一団もあったようです。その太田氏は、高国の近習(きんじゅう:側近)で、「越前守」の官途を名乗る、元親(もとちか)という名の人物が居たようです。この太田氏は、現在の茨木市太田を拠点にしていた国人(こくじん:有力豪族)で、他に、三宅大和守宣村、茨木藤次郎秀俊などが、同じく近習として活動していたようです。
この太田村は肥沃な土地柄で、様々な作物が獲れ、交通の要衝であったために、古くから開けており、城もあったようです。室町時代の戦国時代、この太田村を拠点にする武士がいたようですね。
あまり研究が進んでおらず、まとまったものは今のところ無いようです。しかし最近、少しずつ進んでいるようで、研究をまとめた本が出版されていました。こういった地域の歴史や動きも、もっと詳しく解明されるといいですね。当寺とも何か関係が出てくるかもしれません。
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