開発前の当地、茨木市の太田村は、田畑が広がるのんびりとした村で、江戸時代に全国的に有名となった特産品の独活(ウド)も、規模は小さくなりつつも、未だ生産されていました。
写真好きの先代住職によって、当時の様子が記録されています。「消え行く農村風景」と題して、当寺の壁面に掲げてあります。それぞれの写真は、工場の造成工事が始まる直前のもので、今とは全く違う風景が見られます。
また、この当時は今ほど夏も暑くは無く、涼しかったですね。あの頃の夏が恋しいです。ただ、冬は寒かった...。
【写真説明】
一望の美田は国道まで続いていた。幼い頃通学したあぜ道はつゆ草で濡れていた。
バケットカーが、ブルドーザーにひかれて、日に何十回もこの踏切を通った。広い田畑が会社に買い取られたからだ。
道の両側の青い草は、すっかり姿を消した。生々しい黄土が盛られて道路まで泥沼になった。ズックの子は毎日靴を汚して叱られていた。
道路は倍に拡げられ、工場は完成した。バスも通る様になった。見知らぬ人々が何百人もこの道を通って工場に行くようになった。
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