西国街道は、江戸幕府が国内に整備した五つの官道(国道)の一つので、拙寺のある旧太田村を東西に貫いています。官道ですので、交通量は非常に多かったようです。
西国街道は、飛鳥時代から平安時代にかけて、律令体制による政府が整備した道路網を元にしていて、その時の山陽道とほぼ一致するそうです。西国街道とは京都の羅生門から九州の太宰府までの道で、その間には宿駅が整備されていました。江戸時代には、西国の大名が江戸への参勤交代に、この道を使いました。茨木市の郡山宿は大名が宿泊した本陣として、今も残っていますね。
この茨木市の太田も、少し前まで道幅や家並みなどは面影もありましたが、今は時代の流れで、徐々に趣きも変わりつつあります。
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